マニュアル医療と医学教育

マクドナルドの営業成績がよいらしい。すべてをマニュアル化し、どこでも同じ味のものを提供できるようにと数千のマニュアル項目があるという。顧客への対応も、どこの店でも同じである。大きな間違いをしないために、膨大なマニュアルをつくることは会社経営という観点からみるとよいのだろう。

医療現場でもマニュアルが大流行である。胸痛には心電図と胸部レ線、腹痛には胃カメラと腹部超音波と依頼検査が決められていることも多い。治療においても、研修医はなんでもスコアー化し例えば何点以上なら透析の適応であるとか、急性アルコール中毒では何点以上が重症とか言いがちである。それでは、なぜこのスコアーが有用で危険なのか、検査結果を判断する前提はなにかを討論すると誰も答えられない。

多くの研修医は教科書を絶対的なものと思っている。人間の体のどのくらい私たちが理解でき、疾患に対して介入できるというのだろうか。臨床を深くすればするほど、我々はまだなにもまだわかっていないことがわかる。臨床的に患者を観察することがいかに重要であるか、1例であってもそれを掘り下げることがいかに大切であるかをしってもらいたい。内科学会からの英文誌“internal Medicine”ではそのような経緯から症例報告を推奨している。

マニュアルに習熟すれば、すべての医療は可能であろうか。マニュアルとは決まり事をその通りにすることである。これでは、自分の意見を持つことはできない。マクドナルドのハンバーガーを売るのであればそれでよいが、医療では種々の疑問、患者の要求に応えるためにはマニュアルではない問題解決法を習熟する必要がある。マニュアルは最低限の必要な知識である。しかし、臨床で生じてくる答えがない種々の応用問題を解決するためには、知識ではなく、知恵をもつ必要がある。卒前・卒後教育に関しても、すべてを知識として教えるのではなく自ら勉強しようとする動機を持たせることの方が大切であるように思う。